実際にあった事件の映画化

ヒーローショーという悪ふざけの過ぎた実話映画

市橋達也の映画化がされただけでも賛否両論どころではない、否定的な意見で溢れていました。実際にあった事件、それも残忍かつ悪質、日本を飛び越えて国際問題とまで見られた社会問題を題材にしたところで、映像作品としてまともに評価を受けることはありません。実在の事件を題材にするにしても、犯罪を美化するような内容を評価することはないことだけが救いか。

ただ『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』だけでない、日本の映画作品には実際に起こった笑うことの出来ない社会問題と言ってもいい事件をテーマに、まるで犯罪が美しいものだと語っていると取られてもおかしくない映画が何作品も公開されている。その中にはフィクション作品を映像化したものもありますが、リアルに起こった事件だと別格なのは市橋被告のケースから見ても分かるだろう。そんな問題だらけの映画とは『ヒーローショー 』という、2010年に公開された作品だ。

この作品ではお笑い芸人を中心に配役が固められており、その手ならば知っている名前もちらほら見受けられますが世間一般的に知名度のある役者は正直な話、1人もいないと言っていいでしょう。何故なら、この作品に出演することはI am ICHIHASHIと同等に役者人生に泥を塗るような汚名を受けてしまうからだ。その理由は、この映画の題材となった映画がガチにヤバイからだ。

東大阪集団暴行殺人事件が題材

この映画は主人公がある日先輩から紹介されたヒーローショーのアルバイトに出演するが、そこで先輩がバイト仲間に彼女を寝取られたことで仕事中に殴り合いの喧嘩へと発展してしまう。それでも気が収まらないとして報復する先輩だが、やり返された側の必要以上の反撃に先輩があってしまい、暴走が暴走を呼んでついに犯罪を起こしてしまうのだ。物語はそこから始まると言って過言ではない。

ここまでの流れで実際に起こった事件を聞いたことのある人も、もしかしたらいるかもしれません。この映画を題材にした実際の事件は2006年に起きた『東大阪集団暴行殺人事件』となっている。

事件概要

映画のあらすじでも話したが、この事件もきっかけは男女交際のもつれによる、第三者の男が関わったことで事が発展してしまった。少し異なるのが、すでに関係が破綻している状況にあった中での諍いだったものの、手を出した出さないのもつれで事が発生する。実際、後に被害者となるAが加害者となるBをCを含めた仲間5人でBと共にいたDを公園にて監禁し、暴行・恐喝を加えた。相手側に暴力団の名前を挙げられ、さらには50万円という金額を支払う約束を取り付けられてやっとの事解放された。

だがBと共にいたDが後の実行役リーダーとなるEに相談したことで、最悪の展開を呼びこむことになってしまう。このEは元々その筋の人間で、脅迫をしてきたAとCから二人を守るためには殺すしかないと結論に至り、暴力団関係者を含めた総勢9名で事に動くことを決めた。その後呼び出しを受けたAとC、そして彼らに付き添って訪れたFはそのようなこととは露知らず誘き出され、向かった先で拉致されて集団暴行を受ける。

その後一同は岡山市灘崎町奥迫川の山中に3人を連行すると、『まずAを生き埋めにする形で殺害』した。ここで元々関係のなかったFが解放されるも、警察への通報をしないことに加えて50万円を支払うようにと要求して身柄の拘束を解除する。残ったCに関しては借金漬けにしてからとしたが、暴力団関係者がCの状態を知ると用無しだと判断した結果、『CもまたA同様生き埋めにされて』殺してしまった。

解放されたEは自身の身を守るために警察へと通報するが、このことを知った実行役リーダーは彼を殺してから出頭すると実の母親に連絡したと言われています。後に主犯格ら9名全てを逮捕され、全員に最低でも懲役7年、最高で死刑判決が下された。

血迷っているとしか言いようが無い

このように、I am ICHIHASHIなどとは比べ物にならないくらい、ヤバイ事件が題材となっているのです。何故こんなものを作品として映像化したのか、理解できる人はいないでしょう。残忍性だけで言えば、『女子高生コンクリート殺人事件』を髣髴とさせるほど残忍極まりない犯罪行為だ。それを映像として利益を狙おうとした企業倫理も疑われるが、出演した人々ももう少し考えるべきだったと言わざるをえない。

社会問題として挙げてもいいほどの凶悪犯罪が、まるで劇中で美談のように、犯罪を犯してしまった人間たちの追いつめられる心理が美しいものだなどと表現する作風は吐き気がしてならない。こんな作品を作ろうと思う時点で日本のメディアがいびつな事が理解できるだろう。

問題作が必ずしも

このように『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』のような社会の闇を導くような内容の作品を映像化したところで、話題性を集めることは出来ても評価は散々だ。出演する役者にしても考えるのは当たり前、ディーン・フジオカさんが悩んだのも分かるだろう。だがこの『ヒーローショー』みたいな映画は例外だ。犯罪者の生き方がどれほど繊細なものなのかとありもしない妄想と幻想を感じさせる内容を作って、事件の残酷さと恐怖を誤認させるような内容は言語道断と言って良い。

利益になればいい、そんな考えでは日本のメディアリテラシーがドンドン腐っていくだけだが、それを知らない人は今やほとんどいないだろう。