裁判上でのやり取り

被害者家族と市橋被告

逮捕された後、罪を明らかにするため裁判が決行される。裁判が行われたのは逮捕から2年以上先の2011年7月、この日付は先に紹介した手記が出版された後に行われたのだ。出版社にすれば世間を騒がせた殺人犯、それも2年半以上も逃亡することに成功していたとだけあって話題性抜群として出版までこぎつけます。これによって市橋被告にはおよそ1,100万円もの印税が支払われるが、全額受け取ることなく遺族に渡したい意思を示した。だがこれらの出来事に対して猛烈な反発と憤り、そして日本という国に対して不信感を募らせたのは他でもない、故リンゼイさんの遺族に他ならない。

ただ罪を償い、判決を見守れればそれで良いはずだった。だが長すぎる逃亡生活を許してしまった日本警察への怒り、さらには市橋被告の独善に満ちた手記を出版して金儲けしようとする出版社の腹黒な体質に、遺族だけでなく英国全体からも批判を受ける形になってしまいます。まだ裁判が行われてさえもいない状況下で、どうしてそんなことが出来るのかという思いに苛まれたのは言うまでもない。日本だけに限った話ではないが、世界でも犯罪者の手記ともなれば話題性は高い。だがそれも時と場合を呼んで行わなければ波紋をもたらすだけだ。国際問題とも言っても良いこの事態に、政府がもう少し干渉的な動きを見せていればそんなこともなかったかもしれないが、それも後の祭りでしょう。

被害者の思いを無下にするような日本という国民性に疑問を持つだけの遺族は国に対しても怒りを持つ。ですがその焦点はまず、自分たちの大事な家族であるリンゼイさんを奪った市橋被告へと向けられた。始まる前から波乱に満ちた開幕となるも、真実を暴くための裁判が始まった。

土下座から始まった裁判

英国から来日し、裁判を見るために来たリンゼイさんの遺族と市橋被告は法廷にて邂逅します。本来ならば会いたくもないと思うはずだが、そうでもしなければ抑えられなかった。既に日本という国家にすら疑心暗鬼となっている中で、市橋被告は2年以上の逃亡生活の先にその罪を償うために裁判所へと足を運ぶ。当時の様子から憔悴しきった様子だったが、あるがままに真実を話すと語る。しかしこの時被害者家族へと一瞥することなく、ただただ傍聴席を眺めているに過ぎなかった。

そんな中で始まった市橋被告の裁判だったが、その内容はあまりに異様な風景に満たされており、何処となく容易に想像できる場ではなかったという。それもそのはず、出廷した直後に市橋被告は被害者家族に対して土下座を行うという行動に出たのだ。けれどそれで何かが変わるわけでもなく、むしろ激昂に苛まれたと一部報道では謳われています。またそれ以外にもこの裁判が何から何までいびつな雰囲気で構築されていた。

当時の状況

当時から既に裁判員制度が導入され、市民が司法の場で犯罪者を裁くための場に駆りだされていました。人によってはPTSDを引き起こすこともあり、物議を醸しているが正当な判決を下すために必要なこととなっている。本来ならば無作為に選ばれた男女複数名が選出されますが、市橋被告の裁判においては女性の裁判官は存在せず男性だけで構成されていたとのこと。これは本来選ばれた女性裁判官が、本件に関しての審理には参加したくないとして辞退し、相次ぐ連続の結果で男性裁判官だけで構成することとなった。

女性にしてみれば同性が強姦されただけでなく、殺人を犯してさらに逃亡したというだけで不快を通り越した忌むべきものだと見ていたのかもしれません。ですがそれは男性にしても変わらない、現場の生々しい状況証拠を確認しなければならない心理的負担は変わらないが、男性が女性に乱暴するという点が大きく関係している点は否めそうにないようだ。

罪の焦点は

この事件において焦点に置くべき点として挙げられたのは、『強姦致傷』か『傷害致傷』のどちらに当たるかが焦点となる。どのように違うのかというと、過去の判例において強姦致死の果てに殺人と認定されれば最高裁まで行ったとしても死刑は免れないとされていた。ですがもし殺意がないと判断され、強姦と傷害致死と認定されるようになれば『有期刑が妥当』とみられる傾向にあったのです。

遺族は当然最初から市橋被告に対して死刑判決を望んでいた。口にする言葉はすべて減刑を期待するパフォーマンスだと糾弾するも、検察側も死刑になればと考えたが前科がなく、また犠牲者が1人という時点で日本の司法制度において死刑が最良だとするには判断できないとした。結果、市橋被告には罪相当に値するのは『無期懲役刑』が立とうとする求刑を出すのです。

確定までの経緯として

一審判決では検察の求刑通り無期懲役が言い渡されるが、それに対して被告側の弁護団が控訴する。市橋被告にしてもこの判決は不当なものだとしたが、彼の思いは何処に届くことはなく、高等裁判所において判決を維持するようにと控訴を棄却する判断を下した。

その後最高裁に上告することも出来たが、検察・弁護双方共にその姿勢を示すことなく、判決が確定した。2012年4月25日の事だ。

この瞬間、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件は正式な意味で終止符を打たれることとなる。