遺族の憤り

被告だけでなく、日本全体に向けられた不信感

この事件で市橋被告に対して同情を持つ人は殆どいないだろう。筆者もその1人だが、やはり最大の被害者は誰と語るまでもない、リンゼイ・アン・ホーカーさんとその遺族に他ならない。このような事件が発生する事自体が前代未聞だ、リンゼイさんにしても自分がこんな出来事に巻き込まれることは愚か、異国の地で命を落とすなど考えもしなかったはずだ。彼女の家族も他ならない、むしろ事件をきっかけにして英国人の日本に対する価値観が変化したという点が容易に推測できる。

世界的に見れば日本ほど安全な地帯はないと当時は言われていた。世界各地で巻き起こる戦争・紛争、宗教間を隔てた骨肉の争いのような闘争の渦から一歩離れた島国であり、身一つで安全な暮らしが出来ると信じられていたほどです。実際には日本には日本ならではの問題があるものの、銃器の所持が公認されている社会で生きてきた他国の人々にしてみれば、異世界と取られてもおかしくはないでしょう。

そんな国ならばと遺族も愛娘が1人渡航する事を許可したのに、その生命は狭く硬い浴槽に押し込められたまま土を被せられていた。この事件をきっかけに、リンゼイさんの母親は裁判が始まるまでの間お風呂に入ることが出来ないほどのトラウマを背負ってしまう。また遺族を通して英国という国内部で日本に対する印象が激変したことも予想できる。自国の人間が無残な殺され方をされた点もそうですが、英国においてこの事件は関心を持たざるをえない重大な事件として取り扱える一件なのだ。

キリスト教から見た、姦淫罪

英国といえば敬虔なキリスト教を信奉する国だ、カトリック教会を本山として持つこの国の文化に憧れて訪れる日本人も非常に多い。筆者も生涯に一度は英国へと足を運んでみたいと考えているが、事件直後に興味本位で訪れる日本人は殆どいなかっただろう。市橋被告が起こした事件、女性を強姦する行為はキリスト教という宗教概念から考えれば『姦淫』として見られるおぞましきことだと言われています。

特に姦淫について語られているのは旧約聖書において、かのモーゼが十戒において姦淫をしてはいけないと神から命じられています。もし行われていた場合、その罪は『死刑』として定められ、現代でも処罰規定として定めるべきだと主張されているほどだ。不道徳な性として挙げられるのは、

処女でない女性

男女の不倫

男性同士の同性愛

といったものになる。

事件が発生したのは日本だったので、詳しく定義することは出来ないところだが被害者が純粋な英国人だったこともあって、遺族が死刑に固執していたのはこのためでもあると考えられる。そのため市橋飛行の裁判は日本という尺度だけでは考えられない、国際問題の縮図としても分析することが出来るのです。

裁判時に起きたトラブル

姦淫としての視点もそうですが、それ以前に遺族は日本のシステムに対して疑問を持ち、度重なる不祥事に不信感を持つまでに至ってしまった。2年以上も逃亡を許した挙句、あと一歩というところまで差し迫っていたにも関わらず取り逃がしていたことが追求されるなど、捜査の穴を糾弾されていた。

後に逮捕された後、裁判において遺族の母親が証言した発言などを本来の意とは異なる通訳をするなどという醜態を晒してしまうのです。具体的にどのような言い間違いをしたのかというと、

2年間お風呂に入れない → 2年間を取り戻せない

日本は以前と比べて安全な渡航先ではなくなった → 日本は最も危険な渡航先

このような内容で通訳してしまった。後に実力不足と教育の再徹底を責任者が発言したが、見てもらえれば分かるように下記の誤訳は下手をすれば日本と英国との関係そのものが壊れてしまいかねない内容だ。セーフどころではない、どうしてこのような通訳が行われてしまったのかと疑問しか湧いてきません。捜査だけでなく、実際の裁判においても自分たちの意思が故意に捻じ曲げられていると思ったとしてもしょうがないそんな日本に、遺族が憤りを見せたとしてもおかしなことではない。

映画にしても

こうしてみると日本は異国で娘を殺されただけでなく、遠い地から訪れた遺族をあざ笑うかのような失態に失態を繰り返してしまっている。英国で日本という国がとんでもないところだと思われても仕方がないだろう、その中で逆鱗を逆なでするように手記が出版されたのだから我慢の限界はとっくに超えてしまっただろう。愛する娘の亡骸を本国へと持ち帰ったことである程度納得はできたが、遺族が二度と日本に訪れることはないでしょう。

軽蔑に値する国で公開された、市橋達也被告の映画が公開されたなどと知ったらどう思うか、検討も付かない。事件を風化させないためとはいえ、やはり映像化して誰かが得したと感じる作品ではないのは確かだ。