ディーン・フジオカとは

監督・主演・主題歌を担当

映画そのものの製作が行われ、公開されたことでさえ驚きだと感じた人も然ることながら、役者としてこの作品を演じたいと思った人がいたことの方が驚きだと筆者は先に感じた。俳優として活動している人たちにしてみれば仕事があることを喜ぶ人もいるでしょう、ですがそれもあくまで自分に対して実りをもたらすものでなければならない。自身のイメージにマイナスな印象をもたらすような作品への出演は、芸能人としてみても、企業としても価値が損なわれてしまい、リスクも高すぎるからだ。将来的に何か繋がるものがあればと感じたのならともかくだが、今作のように社会全体を震撼させて、あまつさえ逃げに逃げ続けていた犯罪者を演じることに、意味を見出すような人は到底いないのが普通だ。

けれど映画化されたという時点で、市橋達也として劇中扮し、彼の逃亡生活を演じたのが『ディーン・フジオカ』と名乗る役者さんの存在です。聞いたことがない、当時はそう多くの人が感じたはず。けれど2015年頃にはかの名前は瞬く間に全国レベルへと昇華された。映画でもかなりの存在感に満たされていましたが、2015年から放送が始まって現在も続いているNHK連続テレビ小説ドラマ、『あさが来た』において、五代友厚役を好演している。

こんな俳優さんがいたのかと驚く人もいると思いますが、それは別段間違ってはいない見解でしょう。何故なら彼は日本人といっても、役者として活動し始めたのは日本でなくアジア各国を主軸においているからだ。そんなディーン・フジオカさんが日本で初主演を務めた作品がこの市橋達也という犯罪者だったというと、彼にしてみればあまりいい話ではなかったのは間違いありません。そのため、彼が主演するにあたって監督として、そして主題歌までをも担当しているのが良い証拠ではないか。

当人もやる気はなかった

日本人俳優にしてみれば、市橋達也になって映画主演をするというのにメリットを感じる人はほとんどいなかったと見ていいだろう。逆にメリットどころか、日本という国の中でリアルに発生した犯罪者を熱演したところで、悪い評判が高まってしまうだけだ。それは俳優としてもそうだが、監督にしても同義だ。おそらくそうしたキャスト探しも相当難航したに違いない、ですがそれでどうしてディーン・フジオカさんが主演を果たすようになったのか、その理由は彼が日本を離れて事件を客観的に分析できる立場にあったからだ。

ただもし当時日本に在住して、事件発生までをメディアで耳にしてみればやることはなかったと彼自身が語っている。そのことを踏まえると、映画主演という話以前に話の内容を受け入れているわけではないのが理解できる。そして事件を引き起こした市橋達也という人間に対しても共感を覚えることはなく、むしろ嫌悪していると言ってもいいくらいだ。

どう考えても日本で初めてのメディア作品とするには痛手過ぎるのは、素人目からしても明らかです。それでもどうして彼が主演したのかは、疑問が残ります。

相当の覚悟で望んでいたとのこと

そのことは誰よりもディーン・フジオカさん自身が熟知しており、それを分かっていながらどうして出演するのかと、彼の周囲にいた人々からも猛反対されたとのこと。そしてこの映画に出たせいで二度と、日本からオファーが来ることは一生ないことすら覚悟したというのだ。それだけ分かっていながら主演しようとしたのかは、やはり作品を通じて二度と事件が起きない意図も込められていたのです。

日本の外側にいたからこそ

ディーン・フジオカさんがどうして正式にオファーを受諾したのか、その理由は彼自身が日本の‘外側’にいた事が関係していた。オファー時、主演としてもだが同時に監督としても務めてくれないかと依頼される。その時の内容が、『日本で生まれて日本以外の生活で培ってきた経験を活かした上で、アイディアなどを外の視点から見た形で事件を表現して欲しい』というものが、彼の心を揺り動かしたとのこと。

これは日本人俳優には出来ない真似だ、何せ事件を主観的に捉えてしまっているため、日本人ではない日本人以外の視点を盛り込むとなれば相当の労力が求められるからだ。そこまでするだけの予算も無ければ、キャストを探す時間もない。だからこそ白羽の矢が立てられたと表現され、彼自身も自分がこの先日本での活動は出来ないものと理解と覚悟の上で正式に引き受けたという。

軽蔑さえ浮かべる

そんなディーン・フジオカという人の心情を知った上で作品をもう一度視聴したとき、劇中における彼の演じた行動の1つ1つに意味があるにようにすら感じられた。無論市橋達也という人間が映画の中で行っている行動を良きかなと褒め称えることはない、むしろ彼のした事全てがどれだけの非道に満ち満ちているかを物語るように繊細かつ精密に作られた作品と言えるでしょう。

細かなところまで殺人者の行動を手足の指先まで表現する姿は、嫌悪の対象だ。そんなディーン・フジオカさんの迫真過ぎる演技を見て、どのような反響が巻き起こったかは言うまでもない。