I am ICHIHASHI 逮捕されるまでを考察

社会を震撼させた事件が映画化されていた

時々メディアのすることに理解が追いつかないと感じる事があります。過剰な報道行為、人権侵害ともいえるような行き過ぎた取材姿勢、その先を行けば冒涜とも取れるような死者を侮辱する悪意に満ちた攻撃など、数字を取るためには何でもするんだといった態度はマスメディアが存在していた頃からあった。彼らにしてみればそれをすることで真実を世に伝えて、自分たちのしていることが正義だと信じて疑っていないのだろう。だからといって他者の人生において最も触れられたくない部分まで白日のもとにさらけ出されてしまったら、その人の人生は壊されたも同然だ。そうなると分かっていながら報道をするのだから、正義という名の悪行を行っているといっても変わらないでしょう。視聴率が取れれば良い、話題性があれば観客動員数もあがる、目先の利益を優先することは悪くはないが、限度というものは必ずある。

その最も代表的なものとしていえるのは、実際に起こった犯罪事件をメディアが面白おかしく映像化することだ。中でも残忍かつ非道、人道などと悠長な視点物語ることの出来ないものが多く存在する現実で、実際にあった殺人事件をまるで美談のように語り草とする物があります。フィクションならばともかく、リアルともなれば世間の反応も変わってくる。その中でもどうしてこの事件を題材にしたのかと疑問しか湧き出てこないのが、『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』という作品だ。

題名の通り、この物語は2007年に千葉県で発生した『リンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件』で加害者の『市橋達也被告』をモデルにした映画となっている。まさかの映画化、そんな話がいつの間にか企画・製作が行われていたなど、知らない人も多いだろう。何せ公開当初から事件の深刻な内容と残忍性が垣間見えるのは誰しも理解していたので、2013年に公開された当初も映画を観覧できた劇場は非常に限られていました。

某大手レンタルショップでも全国的に借りられるところはありますが、進んで見る人はいないだろう。何故なら実際にあった事件をあまりに忠実に再現しすぎているのもあるが、同時に同作品の中で市橋容疑者の行動がまるで彼の行動が正しかったと思わせる素振りが随所に見られるからだ。

物語概要

当時発生した事件については周知の事実と、大多数の人が詳細は知らずともどういう経緯で彼が逮捕されるまではおおまかに把握しているでしょう。この映画は当時まだ起訴される前、『市橋達也容疑者』として全国各地を逃亡していた頃の話をまとめていた。そんな映画のあらすじを簡単に紹介していこう。

あらすじ

イギリス人女性を殺害し、捜査員の追跡をかわしておよそ2年7ヶ月という逃亡生活を送っていた、殺人犯・市橋達也の手記を元にして映画化した実話形式のドラマ作品。彼が逃亡している最中、様々な憶測が世間を騒がす。既に死亡している、もしくは女装をして潜伏しているのではないか、取り留めのない、根拠など何処にもない市橋達也容疑者の動きに社会全体が震撼していた。そんな中で彼は罪から、警察から、そして自分という存在から逃げるように47都道府県を転々としてその動きが悟られないように逃げ続けた。

逃亡生活の中で彼は自身を隠すように名前を変え、姿を変貌させていったがやがてその旅路にも終わりが見え始める。同作品はこの期間、彼がどこで何をして、どのように暮らし、何に対して怯えていたのかを辿る作品となっている。

彼の手記を題材として

映画における当時容疑者だった市橋達也の動きが克明に表現されている。ここまで鮮明な内容は彼が逮捕されてからほとんど明かされることなく、警察にしても経過を知ることは出来なかったと当初報道されていた。では何故ここまで明瞭な逃亡記録が明らかになったのかというと、市橋達也が自身の逃亡生活を手記として出版していたからだ。手記は『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』というもので、2011年1月に出版されていた作品となっています。

ここに記された内容で、それまで詳しく明らかにされなかった逃げる中で何を考えていたのか、そしてどんな心境でいたのかを物語っているため、誰しも興味を示したはずだ。それもそうだ、この手記が出版されたのは彼が警察にその身柄を押さえられてから2年という歳月が経過してもなお、事件解決というには程遠い状況に置かれていたためです。そんな胸中を記したものなので話題を集めていましたが、開いた中身に記されていたのは自己満足と自分自身が起こした事件を主観的にではなく、客観的すぎるほどに他人事のような視点で話をしていた。

自分に対する疑惑を払拭したかった?

作中で何より印象的だったのは、世間が自分に対して行っている様々な説に対する否定をしている。先に話した死亡説、果ては女装説と様々な憶測に対してだ。その情報を知るために彼が逃亡を続けながらも自分がどのように報道されているのか、定期的に収集していたのでしょう。逮捕されるまで、何度となくそんな根も葉もない噂を出されては堪ったものではないと語っていた。

確かに根拠など何処にもない、言ったもん勝ちといった下卑た主張だと思うのは当然かも知れないが、それを彼自身がどうこう言える立場でもない。けれどまるでそのことを認識していない、自分は被害者と語る内容で手記は綴られています。先に話しておくと、作中で彼は彼自身が起こした出来事を自分のしたこととして捉えておらず、まるで自分とは違う他人が引き起こしたものとして語っていた。被害者であるリンゼイさんを『殺した』のに、『死なせた』と話している。

解離性障害を患っているのかと思わせる手記の内容は賛否両論を呼び、同時にメディアが見逃すはずはないと思った人は出版されたことでかなりの人が思ったはずだ。

美しきかな、などと思うことはない

ただ事件内容の残忍性と被告となった市橋達也という存在は、世間においても特異なものだった。そしてその影響力を考えると出版してからすぐのメディア化はまずいと、それは映画を製作した会社もわかっていた。だからこそ出版から2年という時間を置いて、頃合いになったと見計らってから映画を公開するまでに至っている。

とはいえ、この作品を好意的に受け止める人など多くはなく、どうして映画にする必要があったのか、その疑問だけが多くの人に根を指したことだけは間違いないでしょう。